なぜ学ぶか,なぜ働くか,なぜ生きるか…そういうことは,もうすでに「方丈記」や「徒然草」に書かれているそうです.なんだか,素敵なことです.
「やりがいのある職に就きたい」という想いは分かります.また「自分の能力を最大限に活かせる職場」っていうのも良いですね.あるいは「居心地の良い環境で働きたい」と望むことも自然の摂理だと思います.ただ,残念ながら「就職する前」には,そういうところは存在しないんです.
「道」を究めることが,人生の意味だそうです.これは先述の通り,数百年も前に,鴨長明や吉田兼好が示してくれています.
そして,一つの結論として,「道」を究めるために,人は生きているそうです.
もちろん,進むべき「道」,それは人それぞれだということですが,以下のルールがあるそうです.
人の数だけ,「道」と同じく,理想・理念がありますよね.でも,理想の場所(時空間)は受動的に与えられるものではなく,自分がソコに居て能動的に形成していくところだと思います.
つまり,「就職する前」に求めるのではなく,「就職した後」に自分で形成していくものです.
就職活動(それに付随する場面)では,「志望動機」や「大学で頑張ったこと」が聞かれることでしょう.それを考えて述べることが苦痛になっている学生さんもチラホラでしょうか.
答えがあるわけではないのですが,求められることは,限定されている気がします.つまり,
以上で,充分だと思います.そして(残念ながら),自分の思い通りに決まらなかったら,それは「御縁」がなかっただけのことです.それ以下でもありません.切り換えましょう.
大学人なので,学生さんの「学業の道」をお手伝いするのが責務ですので,就職に関することではあまりお手伝いはできません.
ただ,「もう少し頑張って,『道』を究めてみては?」と思うばかりです.
実体験からですが,大学院は,「学業の道」としてだけでなく,自分の可能性を拡げられる時空間だと信じて止みません.
人生に悩んだら,京都には「哲学の道」があります.そこを,端から端まで踏破してみては?