(1) 英語の教科として,中学1年生の「アルファベット」や「ローマ字」の頃は,特に難しくもなかった.
(2) 英語での簡単な「挨拶」,「自己紹介」はすぐに暗記した.
(3) そして,正しくは思い出せないが,疑問文とか出てきて,急に英語が難しくなる(?)
(4) 「先生,僕,英語が苦手です.」と,自己弁護するようになる.
(5) 出来ないことを言い訳することが格好良いことではない,と教えて頂く.
(6) 「やらない」から「苦手」であると理解した.
(7) 昔の自分と同じことを云う学生さんによく出逢う.< 今ココ!
良くも悪くも,ここに辿り着いた御縁ですから,「英語」について,今一度,ここで考えてみませんか? < 英語ができないことを,誰に対して,何の為に言い訳している?
まず日本人で,「日本語が得意」と自慢される方は,いらっしゃらないと思いますし,それを自慢されても困ったりします.
また"This is a apple."が不正解で,"This is an apple."が正解!という教育方針が間違っているとか,英語を逐次,日本語に訳そうとするから無理があるとか,話す内容がそもそも無いからだとか,そういう議論をしたいわけではないんです.
「英語」が話せる(聞ける/読める/書ける…含む)と「格好良い」と思うのは,話せない自分が居て,その対比として,英語を流暢に話せる(他)人は「英語に費やした時間が多い」ことを,即座に理解するからだと思います.
一方,日本語の敬語(尊敬語,謙譲語,丁重語,丁寧語,美化語)を正しく使える方も「格好良い」ですよね.つまり,英語が話せるっていうのは,日本語の敬語が話せるのと同じ理屈だと思います.
日本語/英語に限ったことではないですが,「同じ内容(文意)」を,複数の言い方で表現できる能力,それが「できる/できない」という境目になっている,と思い至っています.
「正しい文型を意識して,単語を略さずに,ゆっくりと目を見て話せば,敬語になるよ」と教えて頂いたことがあります.すごく救われた気持ちになったので,共有したいと思います.