緒言

2017年9月,念願でもありました,ポーランドにある「アウシュビッツ」を訪問することができました.そこで見たもの,感じたもの…それらを私の人生にとって,どう活かすことができるのか,考え続けます.

・・・.

スケジュールや,ガイドさんのお考えもあってか,ビルケナウ(アウシュヴィッツ第二強制収容所)を,まず最初に訪問しました.

のどかな風景から,急に教科書などで見たことがある建物が目に入ります.車を降りて,取った写真が下記です.

Birkenau.jpg
(私は,ビルケナウでは,この写真を1枚だけ…しか撮影できませんでした.)

本当に言葉が全く出ませんでした.そして私は,この建物を見た,まさに,その瞬間から,全身がチクチクと痛みました.真夏の太陽の強い日光を浴びているようでした.

残っている線路,バラック,鉄道車両(展示用),そして転がっている石の1つ1つまで,ここでの悲劇を物語っている,強烈な場所でした.

ポーランド国立オシフィエンチム博物館

続いて,アウシュヴィッツ第一強制収容所へ.

Auschwitz.jpg
有名になってしまっている「ARBEIT MACHT FREI(働けば自由になる)」の看板.

カバンの山,眼鏡の山,靴の山,髪の毛の山,死の壁,独房,ガス室(中に入って,毒ガスのチクロンBが投げ込まれる天井の口も目の当たりにします)…と,次から次へと脳裏に強烈に焼き付く「モノ」たちを前に,全く言葉にはなりません.

そして,いつしか私はたった1つの言葉が,頭の中で形になり,一杯になりました(このページの最後に,それを述べます).

たくさんの正面を向いた人々の写真

写真に残る全ての方が,ここに収監されて,短い間に「絶命」しています.例えば,ポーランド語を教える先生が「国家反逆罪」で収監され,処刑されるのです.

理由はなんでも良かったのだと思います….

死の壁

下記,ガイドさんが教えてくれた話です.

人体実験室から「死の壁」が見え,人体実験を受けていた子供が見た風景が,下記のように伝承されているそうです.

4人(大人の男性,大人の女性,子供,赤ちゃん)家族が「死の壁」の前に立たされたそうです.SSは最初に「赤ちゃん」を射殺し,続いて「幼い子供」を射殺します.その後,泣き叫ぶ「母親」を射殺して,最後に…全てを失い絶望した「父親」を射殺した…そうです.

(そんなことが現実に行われた…,今でも,頭でそれを否定したく為ります…)

個人的に…

建物の外(強制収容所内の敷地)を歩いているとき,少し離れたところに「白黒写真」が飾ってありました.私は,あまり視力が良くないので,その写真を見るために,何気なく近づき,その写真を見ました.建物の写真であり,文章はポーランド語なので分からず.

そして,その場を離れた瞬間,急に「鉄棒」が,私の視界の中に入りました.

…その平行棒は「絞首台」として使われていたものでした.あまりにも普通の「鉄の棒」でした.

なぜでしょうか?

大量に「人間を処理する」ために考案された,おぞましいガス室….戦況が変わり,そしてソ連が迫り,解放される/する直前,SSは「ガス室」を破壊して証拠隠滅を図りました.それはなぜでしょうか?

また同様に,「人体実験」を行っていた建物内部は,キレイに何も残っていなかったそうです.それはなぜでしょうか?

敗戦が決定付けられた中,なぜ証拠隠滅を図ったのか,その素朴な疑問を,案内してくれたガイドさんに尋ねました.

ここに,その返答は書きませんが,それはまったく矛盾のない仮説であり,それが真実なのだと思います.

※知りたい方は,当方まで尋ねて/訪ねてください.

私の脳裏に浮かんだ言葉

この地球に産まれた方は,必ず,「訪問すべき場所」である…でした.

※ 言葉で表現しきることは到底出来ません.

リンク


トップ   編集 凍結 差分 バックアップ 添付 複製 名前変更 リロード   新規 一覧 検索 最終更新   ヘルプ   最終更新のRSS
Last-modified: 22-09-2017 (金) 08:42:36