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卒業生より

Toronto

 私は修士課程在学中に,交換留学生として,トロント大学へ半年間留学させていただきました.

 帰国した当初は,多少向上した英語力や,国籍の異なる友人及び彼らとの交流を通じて培われた他人の価値観や考え方に対しての高い受容性等,自分が獲得したであろうものを反芻しては,優越感にも似たような感情に浸っていたように感じます.

 しかし今になって,当留学を通して得たものの多くは,さほど特別なものではないと考えるようになりました.上述した内容について言えば,英語など,オンライン英会話等といったネイティブスピーカーと会話できる機会が豊富に存在する現代において,習得するのはさほど難しいものではないと思いますし,海外の友達についても,国内で出会うこと,さらにそれに付随して起こるマインドの変化を経験することは,わざわざ留学をせずとも十分に可能ではないでしょうか.

 もちろんものは言いようですから,それらを他人には実りのある功績に見えるよう切り取ることもできます.「英語を習得したことにより仕事の選択肢が増えた」だったり,「海外の友達ができたことで国際問題への関心が高まった」等と,無骨で稚拙ながらも,それなりにきれいにまとめ上げることもできるのですが,それをしてしまうと,SNSやネット上の体験談により形成された留学の”あるべき姿”に囚われていた当時の自分が馬鹿らしく思えてきてしまうような,そんな気がするのです.

 とは言っても,トロント大学という世界でもトップクラスの大学において,各国の優秀な学生たちと交流できた時間だけは,貴重なものであったと心から感じます.プログラミング知識皆無の状態から数日でゲームを組むまでに成長してしまう 2 歳年下のブラジル人,学生ながらオリンピックで銀メダルを獲得した体操選手,学業の片手間で書籍を執筆し出版する PhD の学生や,受験戦争が過激な中国において 2 学年の飛び級を経験し清華大学(中国 No.1 大学)へ入学した中国人,あとめちゃめちゃ美人なロシア人等々,様々な正真正銘の天才達が私を担ぎ上げ,彼らが普段目にしているであろう高い視座からの景色を垣間見せてくれたことは,自分の無力さを客観的に認識できたという点で,その後の人生において非常に有益な経験となったような気がしています.

A.Odaka