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Maybe that[one glass] made the path we took who knows?

[和訳] その「一つの器」は俺たちの歩んできた道を示していたってこと 俺たち以外の誰が知るっていうんだ?

 この歌詞は,ある視点から一つの器(人生)を見たとき一人は「この器は半分満たされていて、自分にとってそれで満足だ。」といい、もう一人は「俺にはその半分が空っぽに見えるぜ?」と笑ったという内容からの結びの一節になります。 

 さて、皆さんの自分の「器」は半分満たされていますか?  それとも半分空っぽでしょうか?

 そんなうっとおしい哲学的な問答は置いて置くとして、私がcovid19大明神様のご加護で無呼吸症候群を発見し、そこからの劇的ビフォーアフターを決めてからそろそろ2か月、闘病も1年近くになります。ERへの入院を前述のコロナ様にブロックされてから自宅療養へ切り替え、不整脈、不眠から虚血、三半規管がいかれて歩けなくなったり、心停止まであらゆるバイタル異常を乗り越えて双極性障害との向き合い方もだんだんとうまくなってきて近似値を取れば概ね私も健常者かなと思うとまぁ感慨も一入というところ(特異的な体質で体格・年齢に関係なく最重度の症状なおかげで私の「器」は底抜けです)。

 こんな人間でこんな人生だからこそ人生に絶望した誰かが読む価値のある言葉というものを残しましょう(井上ゼミでもやるでしょうけど)!!!     

「僕達、みんなロクでもないけど……すっげー不幸で、滅茶苦茶報われなくて、取り返しなんか全然つかないけど……、一生このままなんだけど、それでいいよな!」「いいわけ、ないでしょ」 と、そうです引用です。でもよくないですかねコレ意外と本質ついてますよ。人生は勝ち負けが遺伝や体質で決まることに私は太鼓判を押しますが、幸せになるかはうまい具合に諦めて最善から「次善」に切り替えることと棚上げをうまく肯定することだと思います。Let it go. Let it be.

H.Inoue

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